ただいま

夕方散歩してたら、見知らぬおばあさんに

普通に話しかけられた

「足が痛くて歩けないんだよぉ」

と、ヨチヨチと

背筋はシャンとしてるんだけど

体はミニチュアみたいに小さくて

私の胸の下あたりまでしか身長はなかった。

話しかけられるのは普通だから

家は近いんですか?帰れますか?

って一応徘徊じゃない事だけ確認して去ろうと思ったら

「歩けなぐなるど嫁さんに怒られっがら」

「平成10年の年に嫁さんに殴られだんだ」

と、戦慄の言葉を発したおばあちゃん。

とにかくおばあちゃんが言うには

嫁さんが怖くていびられているらしい。

殴るとかはホントあり得ないけど

なんと言うか、嫁さんの言い分だって分かるわけで

いきなり戦争中の苦労話と今の話を結びつけて話されたり

息子の事だけ可愛いような事を言われ続けてたら

そらイヤになるよねとも思いながら聞いてた。

なんと言うかこーゆー感覚は本当に久々で

田舎スペクタクルと言うか

あまりに濃い身の回りの話しで

その辺のホラーよりもだいぶ背筋が凍るやつ。

私は昔からこーゆーのが大嫌いだったんだな

って

改めて住みだすと思い出す事が沢山ある。

今日のおばあちゃんにも

「イヤなら同居やめたらいいじゃん」

って喉元まで出かかったんだけど

必死に堪えた。

そんな次元の問題じゃないんだもんね。

そもそも当たり前の事を覆すって事は

この世代、そして田舎ではあり得ないし

想像もしたらいけないんだろうなと思う。

だから私は高校卒業と同時に

逃げるように東京に出たんだなと改めて思わずにはいられなかった。

自分がイヤなら自分からその場から離れる

人は人、自分は自分

って感覚が

パートナーが驚くほど極端に強いのは

高校卒業したあの時に

ここから一目散に逃げたからなんだとジンワリ思った。

そして久々に今こうやって帰ってきて

まさに

「やっぱり帰る!」

って号泣しながら逃げようとした事もすでにあった。

でも、それを踏みとどまったのは

今は改めて話し合いが出来るスキルを身につけた事。

改善策を提示して、話し合う事が出来るようになったこと

受け入れてもらえない案件について

どうしてそれが通らないのか

納得して話が出来るようになった事。

そして、本当に無理な事は少し諦められるようになった事

それが大きいんだと思った。

まさに大人になったのかもね

って事。

それは

ここに

色んな事情を抱えながら

耐えて、諦めて、手放して、踏ん張って

おかえり

って言ってくれる人がいる事がちゃんと分かったから。

それはその人達への

心からのリスペクトが生まれたからだと思った。

だから

今改めて

ただいまって言える場所がある事に

幸せを感じている。

でも年寄りを殴るのは

どんな理由であれ良くない!

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